エジプトから世界へ。踊りと音楽が旅してきた道
「ベリーダンスって、どこの国の踊り?」
ベリーダンスを習っていると、そんな質問をされることがあります。
私自身も、始めた頃は
「エジプト発祥の踊り」
と習いました。
祈りから始まり、豊穣を願う踊りとなり、女性たちによって踊り継がれ、ハーレムで磨かれ、やがて舞台芸術へ――。
そんな物語です。
私も、そう習ってきた一人です。
でも、長く踊り続け、いろいろな国の音楽や踊りに触れ、改めて歴史を調べてみると、
「ベリーダンスって、そんなに簡単に一つの国に決められるものなのかな?」
と思うようになりました。
調べていくと、そこにはもっと複雑で、面白い世界が広がっていました。
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エジプトは、とても重要な場所
古代エジプトには、踊る人々を描いた壁画や遺物があります。
人が踊ってきた歴史そのものは、とても古い。
ただ、それをそのまま現在のベリーダンスの直接の起源とすることはできません。
王朝が変わる。
人が移動する。
交易が生まれる。
宗教や文化が変わる。
そうすれば、音楽も、楽器も、踊りも変わっていきます。
だから私は、
「どこで生まれたのか」だけではなく、
「人と一緒に、踊りがどう旅してきたのか」
を見るほうが面白いと思っています。
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エジプトの中にも、いろいろな踊りがある
現代のエジプトのオリエンタルダンスを語るうえで重要なのが、
ラクス・シャルキー(Raqs Sharqi)。
「東方の踊り」という意味を持つ言葉です。
ただ、単純に「エジプトから見て東にある国の踊り」という意味ではありません。
20世紀前半のカイロで、都市の娯楽、舞台、映画、ナイトクラブなどと結びつきながら発展した、
現代エジプシャン・オリエンタルダンスを考えるうえで重要な呼び方です。(ウィキペディア)
一方、エジプト各地には、地域に根付いたフォークロアや民族舞踊があります。
日本でもよく知られているのが、
レダ舞踊団とコウメイヤ(国立民族舞踊団)。
レダ舞踊団は、マフムード・レダらによって1959年に民間の舞踊団として創設されました。
エジプト各地のフォークロアを調査し、それを舞台作品として構成・発展させたことで知られています。
その後、1961年に文化省の管轄下に入り、国の舞踊団となりました。
つまり、レダもコウメイヤも、ベリーダンス専門の舞踊団ではありません。
エジプトのフォークロア、民族舞踊を扱う舞踊団です。
同じエジプトでも、
暮らしの中の踊り。
フォークロア。
都市の舞台芸術。
いろいろな世界があります。
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人が移動すれば、踊りも移動する
歴史をたどっていると、**ロマ(かつて「ジプシー」と呼ばれた人々)**の存在にも出会います。
ロマの人々は、インドを起源とすると考えられ、西へ移動し、ペルシャやアナトリアなどを経て、
バルカン半島、そしてヨーロッパ各地へ広がっていったとされています。
そしてエジプトには、**ガワジー(Ghawazi)**と呼ばれた女性芸能者の歴史があります。
ガワジーは、主に公の場で踊る女性芸能者として記録されています。
一方、**アワーリム(Awalim)**は、歌や詩、音楽などに秀でた教養ある女性芸能者。
裕福な家庭や上流階級の女性たちのために、私的な空間で芸能を披露していたとされています。
同じ「女性芸能者」でも、活動する場所や社会的な位置づけが違っていました。
そして面白いのは、ここからです。
アワーリムやガワジーなど、19世紀のエジプトに存在したさまざまな芸能文化が、
20世紀初頭のカイロで生まれた新しい娯楽・舞台文化の中で形を変え、
やがてラクス・シャルキーへとつながっていった、と考える研究があります。
もちろん、
「アワーリム=現在のベリーダンス」
ということではありません。
いくつもの文化や芸能が重なりながら、新しい表現が生まれていった。
そう考えるほうが自然なのかもしれません。
また、ガワジーとロマの関係を指摘する説もありますが、これも一つの線に決めつけることはできません。
だからこそ、
人が移動する。
音楽が移動する。
踊りが移動する。
そして、たどり着いた土地で、その土地の文化と出会い、少しずつ姿を変えていく。
その歴史が面白いのです。
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エジプトだけではない
現在のベリーダンスを語るうえで、エジプトはとても重要です。
でも、エジプトだけではありません。
レバノンは、アラブ音楽の世界で重要な土地。
多くの著名な歌手や音楽家を輩出してきました。
そして、もう一つ面白いのがトルコ。
トルコはアラブの国ではありません。
それでも、トルコには独自のオリエンタルダンス文化があります。
楽器も、旋律も、リズムも、エジプトとは違う。
さらに東へ目を向ければ、ペルシャ――現在のイラン。
そしてインド。
それぞれに独自の文化を持ちながら、長い歴史の中では人や物、音楽が行き交ってきました。
違う文化でありながら、つながっている。
その両方があるのです。
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楽器をたどると、もっと面白い
文化の移動を感じるなら、私は楽器を見るのが好きです。
例えばウード(ʿūd)。
中東・北アフリカで広く使われてきた、梨型の胴を持つ弦楽器です。
ウードは西へ伝わり、ヨーロッパのリュートの発展にも大きな影響を与えました。
東へ目を向けると、中国の**琵琶(pipa)**もリュート系の楽器で、
メトロポリタン美術館は、現在の中国琵琶がアラブのウードと親族関係にあり、
日本の琵琶の祖先となったことを説明しています。(The Metropolitan Museum of Art)
そして日本へ伝わった琵琶は、日本の音楽文化の中で独自の発展を遂げました。
もちろん、同じものがそのままコピーされたわけではありません。
土地が変われば、
形が変わる。
音が変わる。
調弦が変わる。
奏法が変わる。
似ているけれど、同じではない。
文化は、受け取った土地でまた育っていく。
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地中海を越えて、アンダルシアへ
さらに西へ目を向けると、スペイン南部のアンダルシア。
イスラム文化が栄えたアル・アンダルスでは、北アフリカや中東の文化とヨーロッパの文化が出会いました。
グラナダのアルハンブラ宮殿も、その歴史を感じさせる場所です。
そして音楽や詩の世界には、**ムワッシャハ(Muwashshah)**という独特の形式があります。
ムワッシャハは、一般にはアル・アンダルスで成立・発展した詩歌・歌謡形式として知られています。
ただ、その正確なルーツについては、現在も議論があります。
アンダルスで生まれたとする見方だけでなく、東方のアラブ世界にあった詩や音楽との関係を
重視する研究もあります。実際、研究史の中でも、その起源について複数の説が
論じられてきました。(ケンブリッジ大学出版局)
だからこそ、
「どこが発祥か」だけでは簡単に答えられない。
そして、その後ムワッシャハは北アフリカや中東にも広がり、
それぞれの土地の音楽の中で受け継がれていきました。
こうしてたどっていくと、
エジプトだけ。
トルコだけ。
アラブだけ。
ヨーロッパだけ。
と、簡単には区切れなくなってきます。
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暮らしの中にも踊りがある
ベリーダンスを「舞台で踊るもの」だけだと思うと、見えなくなるものがあります。
エジプトなどの結婚式には、**ザッファ(Zaffa)**と呼ばれる新郎新婦の入場や行列の文化があります。
音楽や太鼓、踊りとともに、新郎新婦を祝いながら導いていく。
そして、そこでは**シャマダン(Shamadan)**と呼ばれる燭台を頭に載せて踊るダンサーが登場することもあります。
踊りは、舞台だけに存在するものではない。
人の暮らしの中で、祝いの場を彩るものでもある。
そんな一面も、ベリーダンスの面白さだと思います。
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旋回する踊りにも、つながりがある
ベリーダンスそのものではありませんが、もう一つ興味深いのが旋回舞踊。
トルコのメヴレヴィー教団のセマー。
そしてエジプトのタンヌーラ。
もちろん同じ踊りではありません。
でも、男性が旋回するという、とても印象的な身体表現があります。
エジプトとトルコ。
世界地図で見ると、地中海を挟んで近い。
昔の国境は、今とは違います。
人が移動する。
宗教が広がる。
音楽が伝わる。
身体表現も伝わる。
踊りを見ていると、地図の線の向こう側にあるつながりが見えてくることがあります。
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アメリカへ。そして「Belly Dance」
19世紀末、1893年のシカゴ万国博覧会では、「Street in Cairo」などを通して、
中東・北アフリカの踊りがアメリカの大衆に大きく紹介されました。
ただし、
「シカゴ万博で初めてBelly Danceという名前がついた」
と単純に言うことはできません。
欧米ではそれ以前から、「danse du ventre(腹の踊り)」などの呼び方が使われていました。
その後アメリカでは、ショービジネスや舞台文化の影響を受けながら
独自にショーアップされたベリーダンスが発展。
さらにトライバル・ベリーダンスなど、アメリカ独自のスタイルも生まれていきました。
踊りは、伝わった先でまた変わる。
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今では、世界中へ
そして現在。
エジプトやトルコだけでなく、ヨーロッパやアジアでもベリーダンスは踊られています。
フェスティバルが開催され、
スクールが生まれ、
世界中のダンサーが行き来する。
日本でも、エジプシャン、ターキッシュ、各国のフォークロア、トライバル、フュージョンなど、
さまざまなスタイルがあります。
ベリーダンスは、今も旅の途中なのかもしれません。
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私自身は、エジプシャンを軸に
私自身は、エジプシャンをメインに踊っています。
でも、さまざまな国の踊りや音楽を取り入れることも好きです。
それは、ベリーダンスを「ひとつの国だけのもの」と考えていないから。
もちろん、それぞれのスタイルには、それぞれの背景があります。
だからこそ、その違いを知ることも大切。
そのうえで、
いろいろな音楽に出会い、
いろいろな踊りに触れ、
自分の身体で感じ、
自分の表現へつなげていく。
私はそんな踊り方をしています。
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ベリーダンスって、どこの国の踊り?
最初の質問に戻ります。
「ベリーダンスって、どこの国の踊り?」
私なら、
「エジプト」だけでは答えません。
もちろん、現代のベリーダンスを語るうえで、エジプトはとても重要です。
でも、その背景には、
エジプト。
レバノン。
トルコ。
ペルシャ。
インド。
地中海。
ヨーロッパ。
アメリカ。
そして、そこからさらに世界中へ。
さまざまな土地と人との交流があります。
人が移動する。
音楽が移動する。
楽器が移動する。
文化が出会う。
そして、踊りが変わる。
だから私は、
ベリーダンスは、一つの国で完成した踊りではなく、人と音楽とともに国境を越え、今も変化し続けている踊り
だと思っています。
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踊りは、旅をする。
国境は変わる。
時代も変わる。
人も移動する。
音楽も変わる。
踊りも変わる。
それでも、人は踊る。
誰かが踊り、
誰かが音を奏で、
誰かがそれを受け取り、
また次の誰かへ渡していく。
私たちが今、日本で踊っている一曲にも、そんな長い旅のかけらがあるのかもしれません。
そう思って音楽を聴くと、
いつもの一曲が、少し違って聴こえる。
いつもの動きが、少し違って感じられる。
知ることは、踊りを難しくすることではなく、
踊りを、もっと面白くすること。
文化は、コピーされるだけではない。
受け取った土地で、また育っていく。
中国の琵琶と日本の琵琶が違うように。
地域によってウードの音が違うように。
エジプシャンとターキッシュが違うように。
似ているけれど、同じではない。
そして私たちもまた、
長い旅の途中で踊っている。
ベリーダンスは、今も旅の途中。
今日も私は、その旅の続きを踊っています。💃🌍
ベリーダンスを、実際に踊ってみませんか?
歴史や文化を知ると、ベリーダンスはもっと面白くなります。
そして、実際に身体を動かしてみると、
音楽に合わせて身体が動く楽しさや、
普段使わない身体の感覚にも気づくかもしれません。
SHUSHU Bellydance Studioでは、初心者の方も安心して参加できる体験レッスンをご用意しています。
まずは一度、ベリーダンスを体験してみてください😊





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